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「子育ては自分育て」大事なことをたくさん教えてくれた 佐々木正美氏の著書

BOOK

「あーあ、なんで私の子育てはうまくいかないんだろう・・・。」「〇〇ちゃんは、とってもいい子なのに・・・」とよその子と比べたり

私の育て方が悪いから、あんなふうになってしまったんだと自分を責めてしまったり・・・。

そんなふうに思うことってありませんか?     

え?わたし?  

のの
のの

そりゃ~、もうね、今振り返ると後悔ばっかりですよ。

もっとああしてあげればよかった、こうしてあげればよかったって。ほんと思い出すと泣けてくるくらい・・・。

でも同時に、そのときはそれしかできなかったというか、あれはあれで精いっぱいだったんだなと、

少しずつだけど、そう思えるようにもなったきたんですよね。

子どもたちが大きく成長した今だって、歯がゆく思ったり、イライラしたり、ムカついたりすることも多々ありますが、しゃーないです。

のの
のの

それが人間だよね(笑)

出た!抽象病!

「抽象病」について興味のある方は、以下を読んでね。

よく「子育ては、自分育て」って言われますが、ほんとにそうだと実感してます。

母性本能があるんじゃないの?

あるでしょうけど、子どもが誕生した瞬間に「母」になれるわけがない。

のの
のの

「母になっていくんだ~!」「母性本能も育てていくんだ~!」と、世界の中心で叫びたい!

本記事の内容

子育てに悩むあたたに

ああすればよかった、こうすればよかったと、子育てに関して後悔の多い私ですが、
たくさんの子育て本を読んだ中で特に影響を受けたのが、児童精神科医 佐々木正美氏の著著。
子育てだけに限らず、すべての人間関係や自分と向き合い方にも通じる大切なことを教えてくれた著書。その気づきをシェアします。

どうぞお役に立ちますように・・・。

子育ては、自分と向き合わざるを得ない自分育て

子育てほど自分と向き合わざるを得ない、と思うのは私だけでしょうか?

他者は変えられないって言いますが、

のの
のの

我が子はなぜか変えられるって思ってしまうんですよね~(笑)

だって、まだいろんなことがよくわかっていないし、人生経験短いし。

世に出てもはずかしくないように、親である私が導いてあげなきゃって。教えてあげなきゃって。

なんて上から目線なんだ

ええ、そうなんです。上から目線で、偉そうなんです(笑)

だって「私が育ててるんだから」って、一人責任を負って気合い入ってる感じです。

でも本当は私だけが育ててるんじゃなくて、いろんな人に育てられてるのに、そう勘違いしてるんですよね。

妊娠がわかったとき、「無事に産まれますように・・・」と、ただそれだけを願ってた。

誕生したとき、「この子が幸せな人生を歩みますように」って、ただただ純粋にそれだけを願ってた。

ところが成長していくと・・・・あれができた方がいい、こうなったらいい、こうしないと大変なことになるって、なぜかいろいろな条件をつけてしまう・・・。

まるでそうしないと愛してあげないと言わんばかりに・・・・。

そうなると、なんだかうまくいかなくないことが増えてくる。

のの
のの

あ~思い通りにならんっ!

って、悩むわけですよ。なんでこうなるの? 私の育て方の何がだめなの?って・・・。

育てられたようにしか、育てられない

子どもができて間もないころ、ある年配の人にこんなことを言われたことがあるんです。

育てられたようにしか、育てられないのよ

なので、子育てでうまくいかなくなったときに、私はいつも思っていました。

「あ~、私はこんなふうに育てられたんだな」って。

そんなときにね、児童精神科医の佐々木正美氏の本に出会いました。

佐々木氏が書かれた本は、どれもこれもほんとうに優しくって、他のどんな子育て本よりも心響くことが多かったんです。

上記以外にも佐々木氏の本はたくさんあるんですが、私は次から次へと佐々木氏の本を読みまくりました。

そもそも、子育てを思い通りにしようってことが大きな勘違いだったことが、これらの本を読んで気づいたんです。

佐々木氏が大事にされていたことは、こんなことでした。

親の思う通りに子育てするのではなく子どもが望む親であること、子どもが愛してほしい愛し方で愛してあげること

それ、むっちゃ難しくないか

そーなんです。難しいんです。

のの
のの

だって私だって、私がほしい愛し方で愛してもらえなかったんだもん。

あれだめ、これだめ。それは危ない。こうしなさいと、厳しい母でした。

でも、今ならわかります。

母も母のほしい愛で育てられなかったんだなって。だからしょうがないよなって。

佐々木正美氏の子育て論 子どもが望む親

佐々木氏の子育て論は、ある意味とてもつもなく理想に近いものかもしれないです。

でも、他のどんな子育て本より心に響きまくりました。

私たち親は、子どもをコントロールしようとするし、そうしないと大変なことになるとさえ思うこともありません?

私はむちゃくちゃそう思っていたし。今もそう思ってしまうこともあります。

でも、佐々木氏は言うんです。

子どもの要求を聞く前に、親の要求を聞かそうとするから、子どもは親の言うことを聞かなくなる

お母さんの方が人生経験長いんだし、いろんなことわかってるんだから、お母さんの方が正しい。

だから、お母さんの言うこと聞きなさいって。

あなたのために言ってるのよ~だね。

そう。でもこれって、子育てだけに通じることじゃなくて、どんな人間関係においても言えることだと思いませんか?

誰かが自分をコントロールしようと感じたら、どんなに正しいことだろうと人は聞きたくないじゃないですか。

伝わってくるのは、話の内容より「コントロールされている」ということだけ。

親子といえども「人間関係」だもんね。

そして、佐々木氏はこう言うんです。

子どもの要望「〇〇やって~!」は、それができない、めんどうだから母に言っているのではなく

お母さんが自分のために動いてくれるということに、こだわっている、と。(もちろん子どもは無意識にですよ)

お母さんが子どものためにいろいろやってあげていると思っていたとしても、子どもにとってはそれでも足りないんだと。

これ読んだとき、衝撃でした。

のの
のの

た・た・たりない・・・? こんなにあなたのために動いているのに・・・?

どんな子も、親が手をかけるときがある 

そして、こんなことも。

あれが欲しい、これが欲しいとなんで泣くかといえば、「泣かなくては買ってもらえないことをわかっているから。」

こう聞くと、

のの
のの

「泣けば買ってもらえると思っているんだろう。このクソガキ!」と、私は思ったりしてました(笑)

でも、それは違うと佐々木氏は言うんです。

その子が泣くのは、これが欲しいからではない。お母さんに自分の言うことをもっと聞いてほしいということなのです。

でも親は、子どもの要望を何でもかんでも聞いていたら、わがままな子になるんじゃないかと心配するでしょ。

でも佐々木氏は言います。

どんな子も、親が手をかけるときがあると。かけなきゃいけないんだと

満足すれば言わなくなる。手をかければかけるほど、それだけの成果を見せてくれる子だと思ってくださいと、そう言うんです。

「手をかけなきゃいけないときがある」なんて、そんなふうに思っていなかったし、

一見、聞き分けが良くわがままを言わない子が、いい子育てしている実感につながりやすいじゃないですか。

でも「手をかけるときがある」というのは、なんでうちの子はこうなの~!?と思っていた私に

別にそれは問題じゃないと言われている気がして、ちょっとホッとしたのを覚えています。

そして佐々木氏のいう「子どもが望む母」になろうと試してみたんですね。

まだ子どもが小さい頃、とにかく子どもの要望を「いいよ」「いいよ」と、イライラしながらもぐっと我慢して聞きました。

するとね、佐々木氏の言うとおりに、自分の要求を聞いてくれたことに満足したのか、

こちらが口うるさく言わなくても、すんなり私の言うこと聞いてくれたんですよ。

先にも書いたとおり、「子どもの要求を聞く前に、親の要求を聞かそうとするから、子どもは言うこと聞かない」って

ほんとにそうだなーって実感しました。

じゃあ、そのまま子どもの要求を十分聞ける子育てをしてきたかというと、まあ私も人間です。(笑)

聞けたり、聞けなかったりで、今もなお、そんなことを 繰り返す日々です。

もっと「過保護」になれ

もう思春期をすぎた我が子。いまだに「〇〇やって」と自分でできることなのに、そう言ってくることがあります。

私は「自分でやってよ~」と内心思うんですが、まだまだ私に、自分のいうことを聞いてほしいという要求があるんだな、と思い、

できるときはやっているんですよ。

のの
のの

佐々木氏は「もっと過保護になれ」と言うんです。

それは、あかんやろ

「過保護」と「過干渉」は違うのだと。

過保護は、子どもがやってほしいことをやりすぎること。

過干渉は、子どもがやってほしくないことをやりすぎること。

今の親は、過保護じゃなくて過干渉だと。

子どものやってほしいことより、子どもがやってほしくないことをやりすぎている、と言うんです。

だから、子どもがやってほしいことをやりすぎるぐらいがちょうどいい。

なので「もっと過保護になれ」と言うんですね。

お母さんもお母さんのままでいい

もうひとつ、佐々木氏の子育て論で大切にされていることに「待つこと」がありました。

たとえば、トイレトレーニング

どうしても親は、平均的な時期にそれができてほしい、と思う。

のの
のの

私も思いましたよ!思いまくりました!

でも、佐々木氏は「その子ができるようになるまで待ってあげる」

つまり、その子のできるタイミングがあるからそれを信じて待ってあげてくださいと。

なんかすごく理想論に聞こえる。

ですよね。待てない私にとって「待つ」という行為はとっても難しいし、待てる人っているんだろうか、とさえ思いました。

でもね、佐々木氏の子育て論は、子育てだけに限らず全ての人間関係や、自分との向き合い方にだって通じるものだと思えるんです。

のの
のの

想像してみてください。

もしあなたが、自分が欲しい愛し方で親から、そしてまわりからも愛されているとしたら?

もしあなたが、できないことがあっても、できるまで待つよと言われたら?

もしあなたの要望を先にたくさん聞いてもらえたら?

どんな気持ちになりますか? 超心地よくないですか?

それは子どもであろうが、大人であろうが、関係ないですよね。

私がほしかった愛され方は、コントロールされる愛され方じゃない。

それでいいよって言ってもらうことだった。もっと私の思いを聞いてほしかった。

結局、自分がやってほしかったことを、やってほしいことを、

やってあえればいいんだね。頭では理解できるけど、できるかな・・・

難しいですよね。

できなかったら、こうとらえてみてはどうでしょう。

子どもの望む母になかなかなれなくても、できなくても、いくつになっても、誰とでも、そして何度でも

のの
のの

私がそうできるように、私が私自身を「待って」あげればいいんだ。

私が望む愛され方を、まずは私が私にやってあげればいいんだ。

佐々木氏は言うんです。

我が子のことを「そのままでいい」と認めることは、「お母さん自身もそのままでいい」と認めることなんだと

逆に言えば、できない自分でもそれでいいと認めることは、目の前にいるわが子や他者に対しても

それでいいんだと認めることになる。

子育ては自分育て。一緒に育っているんですよね。

まとめ

  • 子育ては、自分と向き合わざるを得ない自分育て
  • 児童精神科医 佐々木正美氏の子育て論
  • 親が望む子に育てるのではなく、子どもが望む親になる
  • もっと「過保護」になれ。「過保護」は子どもがやってほしいことをやりすぎること。
  • 今の親は「過干渉」の親が多い。「過干渉」は子どもがやってほしくないことを、やりすぎること
  • できるまで待ってあげる
  • 理想論に思えるが、子育てに限らず全ての人間関係や自分との付き合い方にも通づる
  • 我が子をそのままでいいと認めることは、親自身もそれでいいと認めることになる。
    逆もしかり。
のの
のの

悩んでいるときはしんどいけど、悩むというのはそこに「愛があるからだ」と、これも世界の中心で叫びたい思いです~!

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のの
のの
この記事を書いた人

読書好き。年間200冊以上読んでます。「人間らしさ、人間臭さ」に心動く50代です。今までインプットしてきたことと経験してきたことなどを踏まえて心動く50代の「エモい生き方」を綴っています。

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