どうしてあの人と話しが通じないんだろう・・・。なぜわかってくれないんだろう・・・。
一生懸命やっているのに・・・。「もっと考えろ」って? 私なりに考えてるよ。
誰かとのコミュニケーションにおいて、なんだかうまくいかないなって思うことってありませんか?
めちゃくちゃある。
例えば、母が
食事するから、テーブルの上のモノを片付けて
そう子どもに頼んだとしましょう。
子どもは、テーブルの上にあるものをテーブルの隅にまとめて置きました。
それを見た母は、思いました。
違う、それぞれのモノを元の場所に戻してほしかったのに~
子どもは
食事するスペースは確保できたよね
母の言った「片付けて」というのは抽象的な言い方。母はそれでわかってくれるはず、と思っていました。
でも、子どもが片づけた状態は、母が思っていた状態とは違っていたんです。
最初から具体的に「食事するから、このテーブルの上のモノをそれぞれ元の場所に戻して」と伝えれば、子どももそのようにしたでしょう。
わかってくれるはず。わかったつもりになる。
私たちは日々の生活の中で「何度言ったらわかってくれるの~?」ってストレスを感じたり。
かといって、イチイチ毎回具体的に言えば「そんなことわかってるよ!うるさい~!」と苛立つことだってあるでしょう。
「抽象化しすぎてわかりにくい、もっと具体的に話してよ」と思うこともあれば
「(具体的に)〇〇とか、△△とかもういいから、もっと簡単にシンプルに言ってよ」と思ったりすることだってある。
こんなふうに誰かとのコミュニケーションでイラっとすることって案外ありますよね。
思い当たることたくさんあるよ・・・・
どうぞお役に立ちますように・・・。
「具体化」=相違点を見つける 「抽象化」=共通点を見つける
この著書では「具体⇔抽象を行き来する視点」をもつことによって
他者とのコミュニケーション能力を高め、問題解決能力にも役立ち、想像力を生む力にも応用できるスキルだと著者は言います。
そもそも抽象化、具体化ってどういうことでしょうか。
著書に書いてあったことから、それぞれの一部を抜粋すると
【具体化】
- 複雑
- 違いを明確にすること
- 数値と固有名詞を使う
- 五感で感じられる実態
- HOWを問う(どうやって)
- 相違点を見つけ出す
- 誰でも五感でわかる。
- あの人と私は、違う
【抽象化】
- シンプル
- まとめて一つにすること
- 一言で表現すること
- 自由度をあげること
- Whyを問う
- 共通点を見つけ出す
あの人と私は同じ。人間とはそういうものだ
そして現代は、「具体病」と「抽象病」が蔓延していて社会の活力をそいでいると、著者は言うんです。
では、それぞれがどんな症状なのかというと・・・。
【具体病】
- 具体的な指示がないと実行できない。理解できない。応用が利かない。
- ルール化されたものや常識に対して、それらを絶対的なものと信じて疑わず、環境の変化に対応できない。
- 思考停止状態
【抽象病】
- 正論やべき論、精神論をドヤ顔で語るのが好き
- 他者への失敗や悩みにアドバイスすることを好み「教えたい病」でもある。
- 「ベストを尽くす」「〇〇を強化する」「今年こそはやせる!」など思いや口だけで具体的な行動につながらない
こうやって視覚化すると、あなたの中にも思い当たるところはありませんか?
私は、どちらかというと「抽象病」だな。
私は「具体病」だ。
こういった両者の世界では、基本的な価値観が正反対であるがゆえに、多くのコミュニケーションギャップを生み出していると著者は言います。
現実重視の具体派の人は、リアリティのない理想論が不快で、「現実はそれほど甘くない」とできない理由を話します。
一方、抽象派の人は、表面的な具体しか見ていない人に苛立ちを感じます。もっと本質を見よ、と思います。
さて、あなたはどちらの傾向が強いでしょう?
問題解決には「具体→抽象→具体」
著者は、「具体⇔抽象を行き来する視点」をもつことが大事だと言います。
例えば、問題解決には3パターンあると言うんですね。
私は、子どもにあーだこーだと口うるさく指示して(具体→具体)問題解決しようとしてたな~
私は職場の同僚に「もっと頑張ろうよ!」って精神論で問題解決しようとしてたな
著者が目指しているのは、「具体→抽象→具体」という問題解決方法。
抽象的でわかりましぇーん。
では、私の具体例を示しながらお話ししますね。
先日、我が家のパソコンのキーボードを見て、夫が言いました。
汚いな~。よくこんな状態で使えるな。もっときれいすれば~?
ふだんパソコンを主に使うのは私なので、私に向かって夫はそう言ったんですね。
そもそも私は「汚れ」に関しては、そんなに気にならないんです。(笑)
だから言われてムっときて
私は気にならないからいいの!気になるんなら、あなたがキレイにしてよ。
すると夫はこう言いました。
お前だけが使うんじゃないだろ。
とまあ、はずかしい夫婦の実態をさらしましたが・・・。(笑)
「あーいえばこーいう」という、よくあるしょうもない夫婦ケンカによってイヤ~な雰囲気に・・・。
さあ、ここまでが具体的なことでした。ムカつくことって具体的なことです。
ここから抽象化します。
あ、もちろん、ムカついている最中は冷静にはなれないので、ちょっと落ち着いてきたところで
自分に問いました。
何で私はこんなに腹が立ったんだろう? 何がそんなにムカつかせた?
何て言われてる気がした?夫が言いたかったことは、つまりどういうこと?
いろいろと考えました。すると出てきたのが、こちら。
イチイチ文句をつけてくる夫に、そんな細かいこといいじゃん。なんて神経質な人なの!と、夫を責めている自分。
そして、夫からの言葉に「お前は雑だ」「モノを大切にしない」「自己チューだ」「自分のことしか考えてない」
そう責められているような気がしていたことも、わかりました。
責められているようなことって、自分が持っている思い込みによってそう解釈してしまいます。
でも、よくよく考えてみると(抽象化してみると)、私は「汚れ」に関しては気にならないですが
「モノが多い」ことには、とっても気になるんです。
だから、なかなかモノを捨てない夫にイライラすることが多く、「使わないモノは捨てたら?」「もっと片づけたら?」って
イチイチ細かく小言を言ってよくケンカになるんですね。
つまり、具体的なケンカの内容は違っても、抽象的な視点からみると、私も夫と同じく細かく神経質なんです。(共通点を見つけた)
私も夫と同じなんだ。しゃーないか・・・。
そう思えたなら、夫の言葉も私を責めてるんじゃなくて、ただ「キレイにしようよ」ということなんだとも思えてきました。
なので、夫ほどじゃなくとも気が付いたときは(あまり気が付きませんが(笑))
ちょっとキレイにしてみようかな、と思うことも出てきました。(ちょっとだけね(笑))
とまあ、これが私が思う「具体→抽象→具体」の問題解決の事例でした~。
イメージしていただけたでしょうか?
抽象化な視点を持てないとき
だからといって、私がいつもいつもどんな人間関係においても抽象化できるわけではありまへん。
例えば、子どもに「みんなと仲良くしようね」と親はよく言いますが、
我が子が誰かとのトラブルに巻き込まれたら「それは相手が悪い」というふうに、我が子第一になりがちです。
また、こんなこともないでしょうか。
「あの人はこうだよね」とわかったような気になって誰かのことを話したりすること。
でも、逆に「あなたってこうだよね」と言われるとムカつく(笑)。
私の何をわかってるっていうんだ~ってなる
なので、著者は言います。
他人のことは一般化して抽象レベルでとらえるが、自分のことは特別視して具体レベルでとらえる
引用:「具体⇔抽象」トレーニング
「自分のことは棚に上げて」状態ですね。
ムカついているときは、自分が具体な視点になっていることなんて気づきもしないんです。
抽象化すると、それが人間ってもんですよね~(笑)
なので、著者は言います。
コミュニケーションがうまくいかなと思ったとき、それらのことを考慮して
自分のことは一般化して考え、他人のことは個別かつ具体的な詳細までを考慮する
引用:「具体⇔抽象」トレーニング
私が夫とのしょうもないケンカを例にすると
★自分のことを一般化して考える
→私も夫のように細かい指摘をしたり神経質なところはあるよな(共通点を探す)
★他人のことは個別かつ具体的な詳細までを考慮
→夫はモノをキレイに丁寧に扱いたいという思いがあるんだよな(具体的な詳細を考慮)
ムカつくイラつくなど感情が高ぶっているときは難しいので、落ち着いてからやってみてね。
依頼するとき、依頼されるとき
こんな興味味いことも書かれていました。
たとえば、上司が部下に仕事を依頼をするとき
①具体的な指示をする上司に、具体的な指示を望む部下の場合
部下は上司のことを「面倒見のいい上司だな」と思います。
上司も「きちんと仕事をこなしてくれるな」と思います。
両者のコミュニケーションはうまくいってると、お互い感じるでしょう。
②具体的な指示をする上司に、抽象的な指示を望む部下の場合
上司からの具体的な指示に、部下は「いちいち口出ししてきてうるさいな、もっと自由にさせてよ」と不満を抱き、
「信頼してもらえてないのかな」と思うかもしれません。
上司もこんなに具体的に指示しているのに、なんでそんなに不満そうなんだ、なんで指示通りにやらないんだと、
部下の能力を疑ったりするかもしれません。
両者のコミュニケーションはうまくいっていないと、お互い感じるでしょう。
③抽象的な指示をする上司に、抽象的な指示を望む部下の場合
抽象的な上司の指示「好きにやっていいよ」に部下は喜び、「任せるのがうまい上司だな」「信頼してもらっているんだな」と部下は思うでしょう。
両者のコミュニケーションはうまくいってると、お互い感じるでしょう。
④抽象的な指示をする上司に、具体的な指示を望む部下の場合
具体的な上司の指示「好きにやっていいよ」に、部下は「丸投げされた」と思います。
両者のコミュニケーションはうまくいっていないと、お互い感じるでしょう。
それぞれの望みが一致していないと、こんなふうに誤解や軋轢が生じるんですよね。心当たりないですか?
私は仕事をするとき、仕事に慣れていないときは、具体的な指示を好みます。
慣れないうちから抽象的で曖昧な指示だと、とてもストレスを感じます。
ただ慣れてくると、あとは任せてほしいタイプです。ずっと具体的すぎるとウザイです。(笑)
なので、ここから言えることは、自分が依頼するとき、あるいは依頼されるとき、
相手の成長具合や、性格などを考慮し、抽象的な視点をもって対応を変えることはコミュニケーションをスムーズにするコツなんだなと思いました。
頭ではわかっても、そんなふうには対応できないよ~
ですよね~。私もじれはトレーニングが必要だなと思いました。
能力の問題じゃない
ただ、上記のことを知って私はこう思ったんです。「ああ、私の能力の問題じゃないんだ」って。
つまり、私の場合で言うと、仕事を依頼されたとき。
最初は具体的な指示、慣れてきたら抽象的な指示を好むと先程述べたとおりです。
でも上司が具体的な指示を望み、それをずっと続けられたら、抽象的な指示を好む私は指示通りあわせようと努力しますが、自分の力が発揮できず、
自分の能力不足なんだ・・・と落ち込むこともありました。
逆に、仕事を依頼する立場のとき。具体的な指示から抽象的な指示へと変化させていましたが
相手がずっと具体的な指示を望む人なら、もっと自分で考えてと相手を責め(心の中でね)苛立ちを感じ、
私の伝え方に問題があるのかな・・・って思うこともありました。
でも、この著書で、それらはお互いが望む視点(具体・抽象)が違うだけで、自分や相手の能力が原因ではないんだと、ちょっとホッとしたのと同時に
この知識を知っているだけで、コミュニケーションがうまくいかないときは、その食い違いがあるんだなってこともわかりますよね。
抽象の世界は「見える人しか見えない」
具体と抽象を行き来する視点をもつことで、解決できることはたくさんあるんだということが、
この著書を読んでわかりました。
具体派重視の私にとっては、なんだか難しいよ。
著者はこんなふうに言います。
抽象の世界は「見える人にしか見えない」(中略) 逆に具体の世界は誰にでも見えます。
引用:「具体⇔抽象」トレーニング
抽象が見える人は、具体も抽象もどちらも見えるが、具体が見える人は、具体しか見えないと。
これは「気づいた人」と「気づいていない人」との関係は常にそうなのだと言うんです。
例えば、あることを知って気づいて、それを一人でも多くの人に伝えたいと思い伝える、
それを「気づきたい人」には届く。
でも、「気づかない人」「気づきたくない人」にとっては届かないし、大きなお世話だと言うんです。
うん、大きなお世話だ。
なので、著者は言います。
気づきたい人に届けばそれでいいんだと言うスタンスぐらいがちょうどいい、と。
何でもそうですが、わかってもらえない人にわかってもらおうとするのってストレスだし、人間関係もこじらせてしまいますよね。
気づかない、見えない具体の世界でも・・・
なんだか具体派重視の自分はダメなのかな・・・と思えてきた。
私はこの著書を読んで、どんな人の中にも、具体の視点、抽象の視点はあり、
時と場合によってどちらの視点になるのか、あるいは、どちらがより多く機能しているのかは人それぞれなんだと解釈しました。
(具体派重視の人は、「具体⇔抽象を行き来する視点」を持つことが得意じゃないけれど、どちらの視点も持ってはいる)
でも抽象派重視の人でも、何にいつどのように気づくのかは、人それぞれの人生のタイミングがあるんじゃないかな~って読みながら思ったんです。
それに、仮にずっと「気づけなかった」としても(具体派重視の生き方でも)、別にそれはそれで問題ない、とさえ思いました。
著者はあとがきに、こんなふうに書かれていました。
「親(会社)のいいなり」「上司や先輩のいいなり」「顧客のいいなり」で言われたことを忠実に守っているだけの人間は、これからますますAIやロボットによる仕組みに組み込まれていくことになるでしょう。(これはこれで、本人が納得するのであれば幸せな人生だと思います)。
引用:「具体⇔抽象」トレーニング
最後の「これはこれで、本人が納得するのであれば幸せな人生だと思います」
ここがミソです(笑)
私はどちらかと言うと、抽象化の視点は持てる方だと思います。
抽象病だしね~
でも、私のまわりで具体派重視の人たちもたくさんいます。
そういう人たちに私の気づきを話しても、たぶんわかってもらえないだろうな、いや、伝えきれないだろうな・・・と勝手に思って、話すことを躊躇することもあります。
でもその人たちとの関係は、気づき以外のことで共有できる楽しさはたくさんあるんです。
それに抽象病の私からすると、気づいていないからこそハッピーなんじゃないかってそう思えることさえあります。
どちらが良いとか悪いというのも主観的で具体な視点だと思うので、
具体派だから抽象派より劣っているとか、そういう自分の価値と結びつける必要はないと思ったんです。
それより、この具体⇔抽象を行き来する視点をもつことで、AIやロボットによる仕組みに組み込まれないように、というより、
自分自身がより生きやすくなるためのスキルとして身につける方が、日々の生活の中で生かせることも多いんじゃないかなって思いましたね。
「具体⇔抽象」トレーニング方法(私の場合)
そこで、著者の目指すところまでいけないまでも、このスキルを磨き育てるために私が日々行っているトレーニング方法をご紹介します。よかったら参考にしてみてね。
- イラっとネガティブな気持ちになったとき、そんなときこそグットタイミング
夫や子どもなど家族とのいさかいや、職場の人間関係だって、身近にイラっとすることはすべて具体の視点です。
ネガティブな感情になったときこそ、「具体⇔抽象」トレーニングができます。
具体的な方法は、上記に書いた私と夫とのしょうもないケンカの問題解決方法で書いたとおりです。
誰かとのコミュニケーションというより、自分の心の整え方といってもいいかもしれません。
変えられるのは、自分だけですからね。
- テレビドラマ、映画、読書するとき
ストーリーのあるものや、誰かの話は、感情移入しやすいですよね。
「私があの立場なら・・・」「私ならこうするな・・・」など、見ながら読みながら自分事に置きかえるんです。
すると、そこに何か共通点がみえてくることが多い。
特に自分が心動くことは、自分にとって大事にしているものがわかってきます。
そして、大事にしたいこと前提に具体的な生活の行動に変えていく・・・みたいな・・・。みたいな・・・。
また、このブログ。本を読んで心動いたことを書いています。
しかし毎回、書きながら途中で頭の中がぐちゃぐちゃになります(笑)。
そういうときに、抽象化です。私はいったい何を伝えたいんだっけ?
私は本の要約をしたいわけじゃないんです。
この本から得た気づきを、心動いたことを、具体的な自分事に置き換え、
そして多くの人のとの共通点を探り、それを具体例を示しながら伝える・・・みたいな・・・みたいな・・・。
まあこんな感じです。抽象病が炸裂しちゃいそうなんで、ここらでやめておきます(笑)
まとめ(私の気づき)
この著書で心動いたこと、気づいたことをお話してきました。
- おおざっぱにいうと、具体は「相違点」を見つける。抽象は「共通点」を見つける
- 人はどちらの視点も持っているが、どちらかがより多く機能しているかは人それぞれである
- 抽象化の世界は見える人しか見えないが、それが自分の価値と結びつけなくてもいい。
- 具体⇔抽象を行き来する視点を持つためのトレーニングは、ネガティブな感情がわいたときがチャンス。また映画や読書などを通じて自分事におきかえて考えてみるなど、日常的なことから実践していく。
著書「具体⇔抽象」トレーニングのここがすごい
最後に、ここでは書ききれなかったこの著書のすごいところ
折り曲げの法則(対極にあることがらは、実は紙一重である)とか
「持ち家か賃貸か」というよく議論になる話から見えてくること、とか
自動車の座席と年末に配られるカレンダーとの共通点をみつけること、とかとか
そんな捉え方があったのかと思えるくらいの驚くほどの著者の視点が、まだまだたくさん書かれていました。
人間の思考の深さは、どこまでも進化するんだな~って思えました。
同じ人間なんですからね。そんな原石を私たちは持ってるんだなって実感させられた本でした。
興味のある人は、ぜひ読んでみてくださいね。