「疲れたなぁ」と感じたとき、あなたはちゃんと身体を休ませてますか?
休まざるを得ない状況になってからではなく、意識して休ませてますか?
例えば、ちょっとしんどいけど「キリのいいところまでやってしまおう」とか、コレやらないと後が面倒だしな、とかなんとか理由をつけて頑張ったりしてません?

あんたのことでしょ。わかっとるがな。

身体の声より思考を優先させてる私でーす・・・えへ。
こんな本を、読みました。
医師である著者が、日々の診療で感じたことを綴った本です。
興味深かったのが、同じ病気でも「治る人」「治らない人」がいること、その違いについて書かれていました。

「疲れたら休む」という、この当たり前のことがどれほど大事かってことを、あらためて気づかされましたね~。そんなところを語ってみたいと思います~。
「治る人」「治らない人」の違い
たくさんの患者さんを見てきて「治る人」と「治らない人」の違いについてこんなふうに書かれていました。
たとえば、食事のとき
<治る人>
・美味しいね~と食事を笑顔で楽しむ
・薬を飲み忘れることも気にしない「あら、また忘れちゃったわ~ははは」
<治らない人>
・「ガンには●●がいいらしい。それを食べないと」あるいは「〇〇は食べてはいけない」と
神経質に心配顔で食べる人
・良いと思ったことをやりすぎる
・考えないと行動できない

つまり、「~すべき」人間は治りにくいっちゅうことか。
笑えたのが、治らない人の口癖が、「なんでやろ」
・いろいろやってみても、どれも効果がない、なんでやろ
・いろいろ勉強するほど、答えが見えなくなる、なんでやろ
・こんだけしんどいのに、家族は誰もわかってくれない、なんでやろ

まんま私やん!だって小さい頃から「なんでなんで」星人でしたから~(笑)
著者は言います。
考えることは、ものすごく体力(エネルギー)を消耗する。
そして
病気を治すためには、病気を治すための体力が必要。
つまり、病気を治すにも体力がいるのに、その体力を考えることで消耗してしまっていると言うんです。

考えすぎな私は、エネルギーをほぼ思考に使ってたっちゅうことです。
常に頭の中で何かが巡っている私、それが体力を消耗させているなんてちょっとビックリ。
疲れやすいのも歳のせいだとばかりだと思っていたけど、これも原因のひとつだったのかと妙に納得しましたね~。
体力の残量を見極める大切さ 特に「レベル3」

じゃあ、考えすぎな人はどうすりゃいいの?
著者がすすめているのは
・自分の体力(エネルギー)の残量を意識すること
・「なんでやろ」ではなく「しゃあないなぁ」に置き換えること
スマホの充電器に例えて、以下のように自分のエネルギー残量を意識しみる。
・フル充電(レベル1)
→体調が気にならないので、周りのことに自然と意識が向く
。70%(レベル2)
→普段通りに動けるものの少し疲れを感じ始め、体調に変化が現れ始める状態。
(肩や首の凝り、冷え、鼻詰まりなど)やる気が出なかったり判断力が鈍ったりすることも
・30%(レベル3)
→自分の弱いところの症状がはっきり出る(腰痛、花粉症など)日常生活を送るのがやっとの状態。心も不安定になり集中力や判断力が低下。無理に行動した後、過食してしまう
・10%以下(レベル4)
→動けず、頭も回らない。何もできてない!と気が焦りパニックになったり眠れなくなったりする
日々、自分の身体がどの状態にあるのかを、頭で考えるのではなく、身体の声やサインに耳を傾けることが大切だと言います。
よく「無理はするな」って言うじゃないですか?
その「無理な状態」というのが「レベル3」や「レベル4」 のときに何かをし続けている状態のことなんだそう。特に「レベル3」を感知できることが最も重要なんだって!

身体に症状が出てるんだから、さすがに気づくでしょ

要は、気づいたとしても、そこで休めるかっちゅうことですよ。
「大事な〇〇があるから、休めない」
「〇〇の締め切りが迫っており、休む余裕がない」
「〇〇が気がかりで、休んでも心から休めない」
「子どもの世話をしなきゃいけない、休めるわけない」
などなど。

私は「休めません」ね・・・(笑)
そーいえば、子育て中のとき、インフルエンザにかかって高熱が出たときがあったんですね。
そのときに思いましたもん。「あ~、これでゆっくり休める~」って。
つまり、誰がみてもわかるような理由がないと休めないと思っていたってこと。
それこそ「レベル4」ぐらいの状態になってはじめて安心して休める、みたいな・・・ね。
ブログを書いているときだって、私はついつい頑張りすぎてしまい「レベル3」になっているなって気が付きましたね。で、頑張りすぎた次の日は、何もやる気になれない・・・というね(笑)
疲れたら休むことができない「危険な理由」と「本当の理由」
著者は、「休まない」ことの何が危険かって
疲れたら休める人でないと、必ず体力がないときでも行動してしまう。つまり無理をしてしまう。
本当は身体が「レベル3」や「レベル4」だったとしても、それに気づかず、いや「無視して」頑張り続けてしまうことが、もっとも危険だということだと。

ああ、耳が痛いね・・・
「疲れたら休む」
こんな当たり前のことなのに、それができない私たち。
それは「休むこと=悪、怠けている、周りに迷惑をかける」などという思い込みがあると著者は言います。あるいは「私がいなきゃ!」という存在証明だったり・・・ね。
中でも「周りに迷惑がかかる」というのは、私もよくそう思ってしまうけど
仮に本当に誰かが困ったとしても、一方で「ああ、それで休んでもいいだ」と感じる人もいるかもしれない。
「周りに迷惑がかかる」という視点だけでなく、「周りの人に安心感を与える」という、そんな視点を持てれば、もう少し心が軽くなるよな~って読みながら思いました。
休めない自分も「ま、いっか」から

頭ではわかっていても、やっぱりなかなか休めないよ・・・
ですよね~。
たくさんの患者さんを見てきて、医者のアドバイス通りに出来ない人たちもいると著者は言います。
そして「わかっているのに、できない。できる力がほしい」と訴える患者さんの声を、医師や周囲の人たちは分かっておかなければならないと、締めくくっていました。
そう、どんなに良いとわかっていても、人はできないことがある。

そのできない自分を「なんでやろ?」と考えたり責めたりするのではなく、休めないことでさえ「しゃあないわ」に置き換える!
予防とは、病気にならないことではなく、病気になっても治る状態になっておくこと
「治る状態」というのが、究極、できない自分を「しゃあない」「ま、いっか」と許していく。許可していくことなんじゃないかなって読み終えて思いました。
50代をすぎると若い時のようには無理はきかないですよね。
ただ、長年しみついた「休む=悪、怠けてる、周りに迷惑をかける」といった思い込みも、意識しないとなかなか変わらないものです。
そろそろ、そんな「呪い」の視点から、
「休む=周りの人に安心感を与える、自分を大切にする、未来の自分のための投資」という視点へと少しずつチェンジしていってもいいかもしれないなって思いました。

「チェンジすべき!」じゃなくてね。

そうそう!意識しながらも、できなかったときは「しゃあないわ」でね。
まとめ
- 病気を治すには体力が必要。考えることも体力を消耗している。考えることに体力を使いすぎてしまっている
- 「休むこと=悪」という思い込みが、疲れていても休めない状況を生み出している。
- 「休まない」「休めない」ことを繰り返していくと、体力がないときも行動してしまう
- わかっているのにできない自分でさえも「なんでやろ」から「しゃあない」に置き換える。
- 「休む=悪」の思い込みを、「休む=安心を与える、自分ファースト、未来の自分への投資」へと少しずつ視点をチェンジしていく