- 石の上にも3年
- 継続は力なり
- 千里の道も一歩から
私たちは小さい頃から「続ける」ことの大切さを教えられてきましたよね。
それでも、好きで始めたことでさえ、途中で飽きてしまったり・・・。
「続ける」ことが大切だとわかっていてもやめたくなって、そんな自分を責めてしまったり・・・。
そんなことってないですか?
こちらの以下の著書をヒントに、
- なぜ「やめる」ことに躊躇してしまうのか
- 「やめる」選択をするときの前向きなとらえ方
について、50代の私が、今までの人生経験とたくさんの読書から得た視点もふまえて、お話します。
どうぞお役にたちますゆに・・・・。
「やめる練習」をしてきたマレーシア人
著者の野本さんは、マレーシア人家族との出会いをきっかけに、東南アジアの人々の考え方や人生観に惹かれ、マレーシアに移住してしまったお方なんです。
そもそも、なぜ野本さんが東南アジアの考え方にふれたかというと、お子さんが小学校にあがり、登校しぶりをし始めたことがきっかけだったんですね。
そんなときに出会ったマレーシア人家族。日本の常識とはまったく違う彼らの人生観にカルチャーショックをうけまくったという著者。
その中で、一番衝撃的だったことが
マレーシアでは、ハッピーじゃなければ、居場所をかえる。
小さい頃からイヤならやめる、ハッピーじゃないならやめるという、「やめる練習」というのを何度も何度も体験しているのだと。
「やめる」ということを、「挑戦」と「失敗」を繰り返していると捉えているんです。
だから「やめる」ということに罪悪感なんてものはなく、もっとゆるく、軽く、「やめる」ということをとらえているのがマレーシア人の人生観なんだそう。
そんなマレーシア人からしたら、「やめる」ということで悩む日本人の心理がまったく理解できないんだそうです。
いやなら、ハッピーじゃないなら、やめりゃ~いいじゃん!
なぜ悩む?
「我慢する練習」をしてきた日本人
一方、私たち日本人は、なぜマレーシア人のように簡単にやめることができないのでしょうか。
著者は言います。
日本人は続けることを大事にし、小さい頃から「我慢する練習」をしてきてたからだと。
みんなと同じ行動をとること、やり始めたことはイヤになってもがんばり続ける、
今を我慢し続けることで輝かしい未来が、結果が、待っているんだと、そう信じてきたから。
ええ、そうじゃないの~?
もちろん「続ける」ことで得られる成長や成果は確かにあります。
だから我慢も努力のひとつとしてとらえ、努力はいつか報われる。そんな成功話や根性論も好きですよね。
ただ、ここでお伝えしたいのは「続けることだけが、やめることよりも正しい」と、とらえてしまっていると、「やめる」選択をすることに、罪悪感や自責の念にかられてしまいます。
つまりそれは、小さい頃から「我慢する練習」をたくさん積んできた結果、「やめる」ことに対しての大きな恐怖というものも同時に刷り込まれてきたともいえますよね。
「やめる」は、自分にも他者にも優しい
著者のご家族はマレーシアに移住したことで、あれほど日本では登校しぶりをしていたお子さんも、インターナショナルスクールに通いはじめ、みるみる元気になっていったそうです。
マレーシアでは、学校を変わることが日本のように大変ではなく、子どもに合わないと思ったら、子どもがハッピーじゃないなら、すぐにやめて次を探します。
はい、次~!!
そういうマレーシア人の人生観は、他者へのいいかげんさにも寛大で、怒ったりクレームをいう人も少ないらしいです。
つまりそれは、自分にも他者にも優しい社会だと言えますよね。
「やめる」は、「逃げる」ことだと思っている
我慢は、自分に厳しくないとできません。
成果を出すためにもっとがんばらなきゃと、努力するのはいいんですが、それを他者にも求めてしまいます。
なぜもっと努力しないんだ!
なぜもっと頑張らないんだ!
「やめる」ことは「逃げる」ことだととらえ、自分にも他者にもダメなラベルを貼ってしまう。だから我慢して頑張る。
しんどくないか・・・。
だから著者は、日本人はもっと小さい頃から「やめる練習」は必要だと主張しているんです。
「我慢する練習」をし続けた日本人が抱えている思い込み
そうはいっても、ここは日本だよ。続けることの大切さを信じている人が周りにはたくさんいるよ~。
そうですよね。どんなにマレーシア人の価値観が素晴らしくても、ここは日本。
こういう本を読んでいつも思うのは、「だから日本人はだめなんだよ~」って、そんなふうに結論づけてしまうこと。
そうではなく、日本人が大切にしている考え方、マレーシア人が大切にしている考え方、そのどちらもチョイスできる、選択肢が増えたと、そうとらえてみてはどうでしょう。
でも、今まで我慢して続けてきたのに、ここでやめるなんて
今までの時間とお金と労力が無駄になるというのも、やめる判断をにぶらせるんだよね。
ここまで頑張ってきたんですもんね。
『ストレスの9割は「脳の錯覚」』 和田秀樹 著
こちらの著書にとても参考になることが書かれていました。
私たちはさまざまな思い込みによる「脳の錯覚」をもち、特に日本人は「逃げる選択肢をとりたがらない」と言います。
その「脳の錯覚」があることで、合理的でない偏った判断のことを「認知バイアス」と呼ぶんだそうです。
「お金と時間をかけてやってきたことを今更やめられない」というのもまさにそうです。(コンコルド効果)。
そして、著者は言います。
幸せになるにはこの道しかない、と思い込んでいる人よりも、「こんな道もある、あんな道もある」と、いろんな道を探せる人のほうが、ラクに生きられます。
(中略)
「幸せになれるなら、どんな道でもいい」と思えたら、いくらでも道は探せます。逆に、それができないと、エリートでさえ生きるすべを失ってしまうのです。
やめたら、どんな恐いことがおこると思っているんでしょう? どんなことを感じるのがイヤだと思っているんでしょう?どんな前提をもっているんでしょう?
その前提を疑ってみる。どんな道でも幸せになれるなら?「本当はどうしたい?」
そこに意識をむけてみてはどうでしょうか?
本当はどちらでもいい。「やめる」に対しての前提をニュートラルに
ここでお伝えしたいのは、「やめる」選択をした方がいい、ということではなく、
やめるも、続けるも、メリットもあれば、デメリットもあります。
本来は、「続ける」も「やめる」も、それはただの選択であって、どちらかが正しいのではなく、どちらでもいいんです。
でも「続けることが大事」「今までがんばってきたんだから」と、「続ける」ことの大事さばかりにフォーカスしていると、
仮にやめられたとしても、心のどこかで続けられなかったことへの負い目を感じたり、体験してきたことが思い出したくない過去として記憶に残ってしまうかもしれません。
どちらが良いか悪いかではなく、続ける選択「も」あり、やめる選択「も」あり、ということです。
どちらでも「選択できる」という視点になって、さあ、どちらを選びますか?
「やめる=逃げる」だとしても「逃げてもいい」という許可【私の体験談】
実は私も、やめる決断がなかなかできなかったことがあるんです。
少し私の話を聞いてくれますか。
私も過去、長く勤めていた仕事をやめるかどうか、むちゃくちゃ悩んでいた時期があったんです。
そもそも仕事に限らず、どんなことも「やめる」ことは苦手な方なんですね。
仕事内容は、とても好きなものでした。ゆえに、やめる決断をすることがとても怖かったんです。
やめたら後悔するんじゃないかって・・・。
それこそ上記に書いたように「今までがんばってきたのに、今更やめられない」という思いもあり
続けていることで得られているメリットを考えたり、また新たな仕事を探さなきゃいけないのもいやだな、とか思ったり。
当時は毎日毎日、やめようか、続けようか、そればかり考えてました。
でも一番私を迷わせていた思いが、「逃げるな」でした。
逃げても、また別のところへいけば同じ問題にぶつかる。逃げても同じだ。だから逃げるな。問題にたちむかえ。
そんな厳しい正論を、私は自分にぶつけていました。
でもやめてみてわかったのは、本心はやめたかったんです。逃げたかったんです。
でもそれがなかなか許可できなかったのは、
「やめる=逃げる=ダメなやつ」という恐れがあったこと。
「がんばれるところ」をなくしてしまう恐れ。なぜなら、がんばることが私の存在証明だと思っていたから、です。
「やめよう、でももうちょっとがんばってみよう・・・」とその繰り返しをしていましたが、
とうとう「やっぱりだめ!」という思いが大きくなり、「逃げてもいい」と「もうダメなやつでもいい」と、そう自分に許可したんですね。
そしてやめました。
やめたことで、自分にあった思い込み、前提がたくさん見えてきました。
やめなければ見えてこなかった思いです。それこそ「挑戦と失敗」を体験しました。
これは、仕事のみならず、私にとっての「ぶつかる壁」だったということもわかりました。
「逃げる」ことがいいとか悪いではなく、自分で自分に大きな縛りがあったことに気付けたんですね。
その思いを知るために、その縛りに許可を与えるために、この出来事があったんだな、と今はそんなふうにとらえています。
能動的な「やめない」決意と、「許す練習」
うん・・・なんとなくわかってきた。
でも・・・それでもな・・・・
ずっと「続ける」ことが大事なこととして信じてきたんですもんね。
簡単には気持ちが切り替わらないのはよくわかります。
では最後に
それでもやっぱり怖くてやめられない・・・やめるかどうか迷うなら・・・
・「やめられない」のではなく、「やめない」という能動的な思いとして現状をとらえる。
現在の状況を「自分で選択しているのだ」と思うか、「無理やりそうさせられている」と思うか、そこには大きな違いがあります。
自分の意志で、「あとこれだけ頑張ってみる。」と、そう能動的に決意できたら、たとえ後で後悔したとしても納得できますよね。
・「許す練習」もしてみよう
「我慢の練習」をしてきた私たち日本人は、自分に厳しいというのは述べてきたとおりです。
だからこそ「許す練習」です。慣れない「やめる練習」をするたびに、心は大きく揺れるでしょう。
そんなときに・・・
- 「ああ、やっぱりやめられない・・・」許す!
- 「ああ、また頑張ってしまった・・・」許す!許す!
- 「ああ、続けられない・・」それも許す!許す!許す!とことん、許す!
「やめる練習」を積んできたマレーシア人は、自分にも他人にも優しいと言いました。
それはつまり、自分にも他人にもたくさん許可を与えているということです。そのマインドを取り入れるんです。
ただただ自分に優しくするだけ。どんな選択をしても全部許す。許さないことには、練習なんて続かないですもんね。
まとめ
「やめる練習」がたりてない日本人だからこそ「やめる」の奥に抱えてきたものをお伝えしてきました。
- 「やめる」ことにマイナスなイメージがあるのは、その奥にある「やめたら大変なことになる」という「恐れ」という思い込みがあるから。
- 「続ける」ことは大切なことだが、それ「だけ」が大切なことではない。
- マレーシア人の人生観「ハッピーじゃなければ居場所を変える」
それは自分にも他者にも優しい社会。 - 「やめる」は「挑戦と失敗を繰り返す体験」である。
- 「続ける」も「やめる」も選択肢のひとつである。どんな選択も「恐れ」を前提にするのではなく、ニュートラルにしたうえで選択する。
- それでも「やめる」ことに対して恐れがつきまとうなら・・・・
「やめられない」じゃなく、「やめない」選択をしているのだという自覚をもつ - 「許す練習」も積んでいく。
まずは「やめる」をニュートラルな立ち位置からとらえてみてくださいね。