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内館牧子「終わった人」にみる定年後のリアル

BOOK

 気がつけば、人生の折り返し地点を過ぎ、いよいよ後半戦に突入。人生100年時代と言われる今、その道のりはまだまだ長く続きます。

前半戦とは違う景色、違う課題が見えてくる中で、「後半戦はどう生きていこう?」と考えるのは私だけじゃないはず。

人生の後半という長い時間を、どのように充実させていくのか。今回は、そんな普遍的なテーマを描いた、ある物語をご紹介したいと思います。

それは、内館牧子氏の「終わった人」。映画化にもなったこの作品。

私は、まずはDVDから観て、その後、原作も読んでしまいました。

読み進めるうちに、ぐいぐいと引き込まれていく感覚。

内館さんの描く作品って、なかなか表には出しにくい人の本音や、自分でも気づかないような思いまでも言語化してくれて、「ああ、わかる!」と思わずうなづきたくなるような、そんな心の揺れが絶妙に描かれているんですよね~。

映画もよかったんですが、やっぱり原作はその何倍も深くて、登場人物の感情のゆらぎがページごとに伝わってくる感じでした。

 少々ネタバレを含みますが、この作品を通して感じた、ちょっと個人的で、それでいてどこか普遍的な感情の動きについて綴ります。

のの
のの

あなた自身の人生と重なる部分があるかもしれませんよ。知らんけど(笑)

定年後の迷いは他人事じゃない、普遍的な心の叫び

「終わった人」のあらすじを簡単に言うと 

この物語の主人公は、定年退職を迎えた男性。
東大を出て一流企業に勤めた、いわゆるエリートコースを歩んできた男性です。
でも、50代過ぎに出向を命じられ、そこから徐々に“第一線”からは外れていきます。巻き返しを図ろうと努力するも報われず、結果、転籍ということになり、そこで定年を迎えるんです。

仕事一筋で生きてきた主人公には、趣味もなければ、友人もいない。
定年後のあまりにも長い時間に、彼は戸惑い、自分が一体何をして生きていけばいいのか・・・
そんな問いに、もがきながら生きる姿が描かれていました。

物語は他人事じゃなく、考えさせられることがたくさんあったんですよね。
仕事、仲間、家族、夫婦、生きがい、ふるさと、そして人間の弱さや見栄といったものまで。

そして、読み進めるうちに、私は思いました。

のの
のの

これって定年を迎える男性だけの話じゃないな

たとえば、子育てや介護がひと段落したときの空虚感。
今まで何かに打ち込んできた人が、ふと立ち止まったとき、「私はこれから何をしたらいいんだろう?」と立ちすくむあの感じ。空の巣症候群や、燃え尽きたような感覚。

そういうのも、きっと同じなんだおうな~と思ったんですよ。

内館牧子さんの「あとがき」が刺さる──「横一列」という問い

そして「あとがき」に、内館さんがこの作品を書こうと思ったきっかけが綴られていたんです。

友人、知人、そしてご自身も還暦を迎え、クラス会やOB会など数々の会合が開かれるようになって、そこに出席したとき、こう思ったんだそうです。

若い頃に、秀才であろうとなかろうと、美人であろうとなかろうと、一流企業に勤務しようとしまいと、人間の着地点って大差ないのね・・・と。

のの
のの

内館さんらしい視点だわ~と思いましたよ。

つまり、どんなに華々しい経歴があったとしても、社会の第一線を退き、世の中から「終わった人」と見なされた瞬間、そこに順位なんてなくなり、横一列となる。

のの
のの

仕事ができて評価された人ほど、「横一列」は受け入れられないかもね。

だから、「趣味があるから」「孫との時間が楽しみだから」と声高に言うことで、なんとか自分の存在を保っているのではないか──と。

どうです?なんかわかる気がしません?(笑)

のの
のの

で、内館さんは、こう問いかけるんです。

ならば何のためにガリ勉し、あがき、上を目指したのか。
もしも最後は横一列とわかっていたなら、果たしてそう生きたか。

人の生き方に“大差”なんてあるの?内館牧子の問いと、私の答え

この「あとがき」を読みながら、私はこう思ったんですよね。

のの
のの

「着地点が大差ない」んじゃなくて、
そもそも人の“生き方そのもの”が、大差ないんじゃないかって。

誰もが、自分を活かしたいと願い、自分の居場所を探しながら、時に楽しみ、時にもがきながら、喜んだり、落ち込んだりしながら生きてる。その中で見栄を張ることも、嫉妬することだってあるでしょう。

男も、女も、立場も肩書きも関係なく、案外みんな、似たようなところで悩んで、似たようなことに心を動かされているんじゃないかなって、そう思ったんです。

そして、内館さんの問いかけ。

ならば何のためにガリ勉し、あがき、上を目指したのか。
もしも最後は横一列とわかっていたなら、果たしてそう生きたか。


「最後は横一列」だとわかっていても、人はたぶん、それでも前を向いて何かを探すと思うんですよね。「今度こそは」って思ったり、「まだ何かできるかも」って、横一列で右往左往しながら生きていく。

それが人の営みで、そこに“大差”なんてない。

大差ないってことは──

あなたの悩みは、私の悩みかもしれないし
あなたの喜びは、私の喜びでもあるのかもしれない。

だとしたら「私だけがこんな思いをしてる」って、そう思う必要はないのかもしれませんね。

まあ、大差ないから、別にそう思ってもいいんですけど~(笑)。

大差ない人生、大差ない生き方の中で、人生後半もあいかわらず迷い、あいかわらずもがきながら生きていく。

のの
のの

別にいいじゃんね~!それで!

あなたも私も、そんな大差ないところで、今日も右往左往しているんですよ。きっとね(笑)

まとめ

  • 「終わった人」は、定年男性だけでなく誰にでも起こりうるテーマ
  • 人生の“着地点”は大差ない。
  • だからこそ思える「私だけじゃない」という思い

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