誰しも悩みのひとつやふたつありますよね?
ひとつやふたつどころじゃない。悩みだらけだ・・。
悩みって、そこに「問題がある」と思っているから悩んでしまうのであって
それは問題ではないと思えば、問題ではなくなる。
は?そんなふうに思えたら苦労しないよ~
ですよね~。私も悩み多き熟女ですからわかりますっ!
どうぞお役に立ちますように・・・。
「歪み・偏り」を正すのではなく「いかす」
著者の片山氏は、「野口整体」の思想をベースにしながら、独自の整体法を生み出したお方なんです。
私は、この著者の考え方がとても好きなんです。
どこがいいの?おっさんでしょ?
ええ、おっさんです(笑)。いやいや、そーいうことじゃなくって~。
例えば、「歪み」や「偏り」。それらは矯正しなくてはいけないと思っていませんか?
理想とする健康モデルがあって、そこからズレて歪んでいると(偏っていると)身体によくない。だから正さなくてはいけないと。
悩みや問題もそれと同じで、解決しなくてはいけないと。
違うの?
でも、この著者は「その歪みをいかす」というとらえ方をされているんです。
これ読んだとき、ちょっと衝撃でした~。
人間には、生まれつき「体癖」といって、感受性や行動パターンなどの違い、気の流れにも偏りがあると言います。
そして、親や社会という外側から与えられたものと混ざりあって、人格形成されていくと。
たとえ外から歪んでいる状態に見えたとしても、その個性にはかなり幅があって、その中でバランスをとり、
元気であるならそれで十分であると。人それぞれいいあんばいの水準があるんだと言うんです。
だから、著者が言う「歪みをいかす」というのは、その人がもともと持っている体質傾向をいかしながら、
もっているふうになればいいと言うんです。
それと悩みとどう関係があるの?
悩みや問題って、自分の中の「歪み・偏り」が大きく関わっていると思うんですよね。
そして自分の中の「ゆがみ、偏り」を否定してしまっていると、外の世界にそれを投影してしまいます。(同じように歪みをもった人が目の前に現れたり、ゆがみを正そうとする人が現れたり・・・)
そして「ゆがみ、偏り」は正さなければいけないと、問題を作り出します。
そして、著者はこう言うんです。
「本当は自然にうまくいってしまうのが当たり前」なんだと。でもそこに邪魔している何かがある。
著者は整体の定義を、本来はスムーズに行くのを邪魔している何かを取り除く技術だと言っています。
なんかスピリチュアルの世界みたいだね・・・
そしてこんな言葉に、私は思わずウッっと心が動いてしまいました。
自分はこの方向でいいんだ、それしか自分のエネルギーを発散する方向がないんだ、と自覚したとき、力を発揮できる。
引用「整体から見る気と身体」
どんなに歪んでいても、どんなに偏りがあっても、それでいいんだと自らを肯定する。
そう許可できたときにフっと身体がゆるみ、本来の力を発揮できる。
そんな「ゆがみ・偏りを肯定する視点」に、私はとっても心動かされたんです。
人間には、バランスをとる力がある
私たち人間にはバランスをとる力がある、と著者は言います。
あくび、寝返り、アレルギー反応、「~したい」という欲求、病気でさえ、すべてバランスをとった行動だと。
著者はこれを、無意識が意識の中に影響して出てくる、意識的な動きだと言います。
例えば、断捨離。心の中がぐちゃぐちゃだからスッキリさせてバランスをとる。
例えば、買い物依存。心の中の満たされない思いを買い物によって心を満たしてバランスをとる。
どんなにそれがネガティブな思いを補う行為だとしても、日常生活の中で私たちは心身のバランスをとって生きているんですね。
そして、著者は言います。「自分の体のバランスをとるパターンを知ること」だと。
私は落ち着かなくなると貧乏ゆすりをしてしまう。
私は歯の食いしばりがあるんです。
これも私なりのバランスをとる行動の一つだと思ってます。
「悩みはゆらぎ」ゆれながら、ゆらぎながら、バランスをとっている
著書を読み終わって思ったのは
どんなに歪みがあっても、私たちはその中で一生懸命をバランスをとって生きているだ、ということ。
なんか健気だね
そうなんですよ~。なんて愛しき人間だと思いませんか~?
健康のみならず人生においても、私たちは世の「成功者」と呼ばれるような人たちをモデルにしたり
誰かと比較して、あんなふうになりたい、あんなふうにならなければハッピーになれないと、問題をつくって悩むんです。
じゃあどうすればいいの?悩むなって言われても悩んじゃうよ
こう捉えてみてはどうでしょう。
私たちが問題とする「悩み」さえも、バランスをとる行為のひとつだとしたら?
だって、どんな行動でも私たちはバランスをとろうとするんですよ。
だから、その悩みはバランスをとるための行為と言えるだろうし、そう捉えると問題ではなくなるんじゃないでしょうか?
悩みは問題ではなく「ゆらぎ」」です。
著者は言います。
体のゆがみを積極的に利用して、気の流れのよい体にすること
引用「整体から見る気と身体」
自分の歪み、偏り、そして悩むということがバランスをとる行為だと捉えるなら、それを積極的に利用し、自分にとっての更なるいい水準を見つける。
こんなことも言っていました。。
歪みを経過としてよむ。
引用「整体から見る気と身体」
今の歪んだ状態は、全体の流れの中の途中経過にすぎない。
つまり悩みも人生の流れの中の途中経過にすぎない。
そんなふうう捉えると、悩んでいることも問題ではなくなるんじゃないでしょうか?
ゆれながら、ゆらぎながら、バランスをとっているんなら、悩みもあってもいいかもね・・・
インド人に学ぶ「no,problem(問題ない)」
ちょっとウル覚えなんですが、以前読んだひすいこたろう氏の本の中に、こんなおもしろいエピソードが書かれていたんです。
インドを旅行中に、自分が食べていたチャイニーズヌードルの上にアリンコが入っていたと。
すぐにウエイターさんに「これアリ?」と伝えました。
日本なら
ちょっと~!アリが入ってるんですけどっ!
とクレーム言って、お店の人も「申し訳ありません!すぐに取り替えます」みたいな行動をしますよね?
ところが、インドのウエイターさんは
no,problem(問題ない)
「アリンコ?それが何か? 気になるなら、あなたがとればいいじゃん。食べたって死なない。
むしろ健康にいいんじゃない?」と言わんばかりの雰囲気を醸し出し、
「no,problem(問題ない)」だと言ったそうです。(笑)
日本ではありえない反応ですが、インド人にしてみれば、アリンコが入ってても気にならない。全く問題ではない。
インド人はどんなときも「no problem 問題なし」と1日100回くらい言ってるそうです。(笑)
つまりこれって、彼らは許せる許容範囲が広い、とも言えないですか?(笑)
許せない!どうにかしたい!と、自分に対しても、他人に対しても、そう思ってしまうから問題になってしまうのであって
問題を問題としてとらえない見方ができれば、私たちはもっとラクに生きられるんじゃないかって
インド人の行動からも、そう思いました。(笑)
人生のバランス。バランスをとる力は、生きる力
どんなにゆがんでいてもバランスをとる力が私たちにはある、というのは、
人間っていうのは、私たちが思う以上に生きる力があるだなって思ったんです。
でも同時に、そんな生きる力を信じられている人は、どれぐらいいるだろうとも思いました。
私は信じられてないな・・・
著者の言う「本当は自然にうまくいってしまうのが当たり前」の中で、そこに邪魔するもの(価値観など)があっても
それさえも自分の個体差の一つである「歪み、偏り」だと、そう捉えたなら・・・。
邪魔なものは、邪魔ではなくなる。つまり「no,problem 問題なし!」となる。そう思いませんか?
私の歪んだ価値感です。偏ってます。それが何か?
「no,problem」ってことね。
言葉は言霊!
そう!「no,problem」インド人のように1日に100回位つぶやく。
ただこれは、誰かを攻撃するための「no,problem (問題なし)」ではありません。
自分が自分に優しくするための、自分を攻撃しないための「no,problem (問題なし)」です。
悩みを、問題を問題ととらえないための「no,problem (問題なし)」か・・・。
まとめ
- 人は生まれつき独自の「歪み、偏り」をもって生まれ、そこに親や社会から与えられたものが混ざり合い人格形成されていく。
- 外から歪んでいる状態に見えたとしても、その個性にはかなり幅があって、その中でバランスをとり、その人なりのいい水準がある。
- なので歪み、偏りは矯正するんじゃなくて「いかす」。その人がもともと持っている体質傾向をいかしながら、もっているふうになればいい。
- 人間には、バランスをとる力がある。日常生活そのものでバランスをとっている。
- 悩みもバランスをとる一つの行為であるなら、悩みは問題ではなく、バランスをとるためのゆらぎである。ゆれながら、ゆらぎながら、バランスをとる。
- インド人に学ぶ「no,problem(問題なし)」。
- 人生に邪魔するもの(価値観など)があっても、それさえも自分の個体差の一つである「歪み、偏り」だと捉えたなら、邪魔なものは、邪魔ではなくなる。つまり「no,problem 問題なし!」となる。
ムカついても「no,problem(問題なし)」
心配しても「no,problem(問題なし)」
不安になっても「no,problem (問題なし)」
さあ、みなさんもご一緒に~!「no,problem(問題なし)」