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手放せない「こだわり」と 手放した先に見えるもの

BOOK

「こだわり」って、人それぞれいろいろありますよね。

たとえば、モノを選ぶとき。これだけはちょっと高くても品質の良いものを選びたいと思ったり、

趣味や嗜好における自分なりのスタイルを大切にしたり。

また仕事や生き方においてもる「過去の経験から培われた自分流のやり方」だったり。

大なり小なり、誰しも何かしらの「こだわり」を持っているのではないかな?

のの
のの

私はこだわり強いでーす・・えへ。

知ってる。

ずいぶん前に観たドキュメンタリー番組「NHKプロフェッショナル」で、そんな「こだわり」について考えさせられたことがありました。

今日はそのことについてうんちくを語りたいと思います~。よろしくっ!

変化の中で揺らぐこだわり

 番組では、卓球の石川佳純選手、体操の内村航平選手、陸上の山縣亮太選手、3人の密着取材でした。みな過去に輝かしい成績を残してきた人たち。でも今は思うような結果が出せずに苦しんでいました。

彼らはそれぞれの練習方法やスタンスに強いこだわりを持っていて、そのこだわりがあったからこそ成功を掴んできた。

でも、そのこだわりがあるからこそ、今は壁にぶつかっている。

そんなふうに観ていて思ったんですよね。そしてそんな彼らの姿に

のの
のの

私も、過去の自分と重なるものがあったんですよ~。

私もかつての仕事で、自分流のやり方で結果を出した経験があります。

でもある時、そのやり方では結果を出せなくなってしまいました。

自分流のやり方を捨てて、誰かに委ねるとか、違う方法を試してみるとか、いろいろ考え試行錯誤もしました。

でもやっぱり、自分流のやり方、つまり「こだわり」を捨てきれず、とても苦しんだ時期があったんですよね。

だからこそ、このアスリートたちの苦しみや辛さが、当時の自分と重なり、見ていて胸が詰まる思いでした。

こだわりを手放す難しさ

そんな時に読んだのが、こんな本。

この本は、行動経済学の視点から、「現状維持バイアス」(思い込み)に気づき、より自信を持って判断するためのヒントが書かれていました。

その中に、こんな一文があったんですね。

人は先が見えずに、何かを失う可能性を秘めた選択をするよりも、現状を維持したいという意識が働きます。失うものの方が大きいと感じていれば、現状維持思考から抜け出すことはできないのです。『人は勘定より感情で決める』より引用

「こだわり」を捨てるということは、今まで信じてやってきたこと、エネルギーを注いできたことを否定するような感覚に陥ることもある。

のの
のの

まるで自分がなくなってしまうような、過去の自分を否定してしまうような感覚というか・・・。

わかるな~。

そして、こう続きます。

そういうバイアスが強ければ強いほど、本質が見えなくなっていく。
『人は勘定より感情で決める』より引用

こだわりが強い私にとっては耳が痛い話だけど、本当にその通りだと思いました。

こだわりを手放した先に

先のNHKプロフェッショナル」の番組に話を戻しますね。

その中で、体操の内村航平さんは、オリンピック代表選出にむけて「6種目」にこだわり続けてたんです。でもなかなかうまくいかない。

そんな状態を見ていたコーチから「6種目ではなく、鉄棒に絞ってはどうか」と提案されたんです。

最初は戸惑ったものの、試しに1週間だけ鉄棒に集中してみると、思いのほか調子が良かったんですね。

そして、内村さんに、こんな気づきがあったんです。それをこんなふうに語っていました。

「やってるのは自分だけど、やってるのは自分だけじゃないんだなってことに気づけて
 自分だけでオリンピックいけるわけじゃないし。
 そう考えると6種目やらなきゃいけないっていう自分のプライドはいらないかなって」

そして何より、久々に体操が楽しいと感じたんだそう。

のの
のの

「6種目」というこだわりを手放したからこそ見えてきた「本質」なのかもしれませんね。

そして最後に、こんな言葉が印象的した。

「若干思いましたよ。捨てたとか、6種目諦めたって思われるかもしれないですけど、今は思うなら思ってもいいよって。胸を張って選択したことなんで、これでいいかなって思います」

こだわることの意味

番組を観終わって、こだわり派の私はいろいろと考えさせられたんです。

内村さんがコーチの提案を受け入れたとき、私はこう思ったんです。

のの
のの

受け入れられるタイミングって、あるよな~

これ、うまくいっていないからこそコーチの提案を聞けたんだと思うんですよね。そして気づきもあった。

先の本に書いてあった「バイアスが強ければ強いほど、本質が見えなくなっていく」って

私の過去の仕事でいえば、本当はお客さんを楽しませるためのこだわりが、いつしか結果を出すことへのこだわりに変わっていった。まさに本質からどんどんズレていってたんですよね。

じゃあ、「こだわり」をなくせばいいのかっていうと、それはちょっと違う気がして・・・。

のの
のの

「こだわり」っていうのは、ある意味「その人らしさ」でもあるような気がするんです。

私の友人で「こだわり」がそんなにない人がいます。ってゆーか、あるかもしれないけど
私からしたらあるように見えない。なんでもいいよ、いいよって感じの人なんですね。

それは決して我慢しているわけじゃなく、本当になんでも受け入れられる人。受け入れ幅の大きい人。

でも、友人はそんな自分のことを「私はすぐに流される、自分がない」と嘆くことがあるんです。

一方、私は「こだわり」が強い人。こだわりがあるがゆえ、そこで苦しむことも多々ある。そんな自分を「人の意見をきかない、自分勝手」みたいに感じることもあるんです。

で、何が言いたいかというと、

それが「個性」だってこと・・・だね

ある人が言っていた言葉がとても印象に残ってるんです。

「人は、自分が悩む性格にこそ、その人の強み才能があるんだよ」と。

友人も私も悩んでいるところが、「らしさ」そのものだということですなんですよね。

だとしたら、「こだわり」をなくすとか、あるいは「こだわり」を持とうとか、というのは、自分の良さをなくしてしまうようなもの。

こだわりがあってもなくても、うまくいくこともあれば、いかないこともある。

うまくいかないときこそ、人は気づきのタイミングがくるかもしれない。

だとしたら、今はこだわりがあってもいいし。手放すときがきたら自然とそうなるだろうなって、そんなスピリチュアル的なことも思いました。

そんなことの繰り返しやな、人生って。

そう考えると
「こだわり」とうまく付き合っていくためには、苦しくなったとき
今の自分にあってる? そのこだわり必要? そもそも本当にこだわりたい本質はどこ?と

のの
のの

「捨てる」ではなく、「問い直す」ことなのかもしれませんね。

あなたの「こだわり」は何ですか?

まとめ

  • 強い「こだわり」は時に自分を苦しめ、本質を見失うこともある
  • うまくいかないときこそ気づきのタイミング
  • 「こだわり」はその人らしさ
  • 「こだわり」と上手に付き合っていくために、「捨てる」ではなく「問い直す」

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