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終わってしまった小田和正「クリスマスの約束」ドキュメンタリーが明かす「一人では紡げない物語」

ドキュメンタリー

 

シンガーソングライター小田和正さんの音楽番組「クリスマスの約束」をご存じでしょうか。

2001年から始まったこの番組。毎年様々なアーティストたちを迎えて、次世代に歌い継ぎたい名曲を小田さんがアレンジを加えライブ演奏する番組です。

毎年クリスマスの時期に放送されていたんですが、2024年の回を最後に終わってしまいました。

最終回は2部構成。第一部では、2009年に総勢21組34名のアーティストが奇跡の共演を果たした「22’50”」の企画から制作過程までのドキュメンタリー、そして第二部では、過去の名場面と最後に収録された映像が届けられました。

のの
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とっても見ごたえのある最終回でした。
見終わって私は、ある過去を思い出したんですよね~。

記事の内容

人生の物語の意味と、一人ではたどりつけない「チームの力」について

熱く語っちゃいます。

「クリスマスの約束」って?

そもそもこの番組。どういう経緯で始まったんだろうって、ちょっとググってみたんですね。
「他にない新しい音楽番組を作ろう」という趣旨からこの番組がはじまったようです。

え~、知らなかった。

2001年、小田さんがアーティストたちへ共演依頼を綴った一通の手紙からこの番組は始まりました。

しかし、依頼した7組のアーティストたち(山下達郎さんやSMAP、福山雅治さん、サザンなど)その全てから辞退され、結局1回目は小田さん一人で自身の曲をはじめ、尊敬するアーティストたちの曲を歌いあげたそうです。

そんなこんなで、3回目くらいからゲストが登場するようになり

のの
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最終回で再演された伝説の2009年の回は、総勢21組34名のアーティストたちが参加してくれたんです。

小田さんがこの番組作りにおいて大切にしていたことは、同じ時代を生きて音楽をつくってきたアーティストたちが、お互いを認め、愛し、尊敬しあうこと、それを形にしたのが、この「クリスマスの約束」でした。

伝説の「22分50秒」その裏側に隠された真実

ここからは、最終回で描かれた2009年の「クリスマスの約束」の舞台裏、特に伝説となった「22分50秒」という大メドレーがどのように生まれたのか、そのネタバレを含めてお話しします。

2009年、この時も小田さんはアーティストたちへ共演依頼のお手紙を書きました、
内容はこんな感じのものでした。

たくさんのアーティストが一堂に会して集まり、自身の歌いたい曲をワンコーラスをメドに
全員で休まずに歌ったらどうなんだろう。
おもしろそうじゃん、つきあってみてもいいよ、と同意してくれるなら、参加していただけないだろうか。

そして、小田さんの思いに賛同してくれたアーティストたちが集まってきてくれました。

のの
のの

しかしながら、物事はそう簡単には進まなかったんです。

最初の集まりでは、こんな意見が飛び出しました。

「小田さんがやりたいことがイマイチ具体的に見えてこない。」
「ワンコーラスずつ歌うことが、果たしてその曲を作った人をたたえることにつながるのか。」などなど、厳しい意見が。

小田さんも自分の思いを伝えます。

「日本の音楽がいまいち前進していかないのは、お互いを認め合っていないからじゃないか。」
「リードボーカルと言われる人たちの集まりがどれだけすごいのか。その音圧を聞かせたい。」
「みんなで集まって全員で歌いきったときに、やったよなというところにたどり着きたい。」

意見のかみ合わない様子から、小田さんの顔つきはどんどん厳しくなり、見てる私までザワザワしてきました。

そして、最後に小田さんはカメラに向かって一言。

小田さん
小田さん

挫折しそうです。

小田さんでも、そんな思いするんだ~

逆境を乗り越え、生まれるハーモニー

議論ばかりしている時間はない。
小田さんは「実際にみんなで歌ってみて、もしつまらないと思ったらきっぱり諦めよう」と伝え、リハーサルを開始。歌い終えた後、小田さんの感覚では「思ったより良い!」という手応えがありました。

のの
のの

ところが、ここでもまた厳しい意見が出てきたんですよ。

「長く聞くのに堪えられるか」
「ソロで歌っているところの方がかっこいい、だとしたらみんなで歌う意味がわからない」

うわ~、厳しいっすね~

長い話し合いの後、ここでも小田さんは小さな声でポツリ。

小田さん
小田さん

簡単なことではなかった・・・。

それでも小田さんは諦めませんでした。

参加アーティストの大切な曲をアレンジし、音源を作り、リハーサルを再開。一音一音、一言一句、みんなで調整を重ねていきました。

中には小田さんよりうんと若いアーティストもいれば、財津和夫さんや山本潤子さんのように、かつてのライバルが今では心強い仲間として共に練習する姿に、私は思わずウルっときちゃいましたね。

スタッフとの衝突、そして完成へ

「なんとなく面白いものができそうだ」とみんなが感じ始めた頃、今度は番組スタッフとの意見のズレが生じるんです。

スタッフは「何のためにするのか」と企画の目的を求め、小田さんは「目的ではなく、言葉にできない何かを伝える企画だ」と主張。

私も過去の仕事で、根拠や目的を問われることが多々ありました。「やりたいからやりたい」「やってみないと分からないじゃん!」と心の中で叫んでましたね。でも、組織ではそれだけでは成り立たないのが現実です。

ひと山、ふた山、三山と、さまざまな議論や試行錯誤を経ながら、個々の意見や不安を乗り越え、みんなで作り上げてきた4ヶ月。

のの
のの

そして曲の長さをそのままタイトルにした「22分50秒」という楽曲を完成させたんです。

いよいよ本番!「22分50秒」がもたらした奇跡

そしてむかえた本番。一体感あるパフォーマンスが観ている私たちに感動を与えてくれました。ほんとすばらしかった。圧巻でした。

ここまでのすったもんだのストーリーを知ったからこそ、より伝わるものもありました。

厳しい意見をぶつけていた人たちも、最後はこんなふうに語っていたんです。

最初はそんな馬鹿げたことできないだろうと思ってたんですけど、
実際にアーティストさんたちが集まってきて歌ってみると
あ~、こういうことを小田さんは想像していたのかなっていうふうに思えるくらい
現実的なことだったんです。

歌い終えた後、観客からは鳴りやまぬ大きな拍手。小田さんは「今までの中で一番長い握手だった」と語り、そしてこう続けました。

小田さん
小田さん

みんなでよってたかって僕のことをいじめました(笑)
やっぱりやってよかったと、本当に思います。

小田さんが追い求めた「言葉にできないものを伝える」の意図や、参加者全員が物語を紡ぐような過程は、とても大きな感動を与えてくれたように思います。

私の物語「簡単ではなかった」卒園式の企画

この最終回を見終えて、私はふとこんなことを思い出しました。
それは、私の子どもの卒園式のときのこと。

卒園式に「何か子どもたちを喜ばせたい」という思いから、私はあることを企画しました。
それは子どもたちのよく知ってる歌を替え歌にして、卒園生の親たちが子どもたちに歌って贈る。
そんな企画でした。

当然私は、みんな賛同してくれるものと思ったんです。

ところが、「そこまでする必要があるのか」「こういう心配や不安もある」などと、賛同してくれない意見が出てきたんですね。当時は、その意見にびっくりでした・・・。

のの
のの

それこそ小田さんと同じで「簡単ではなかった」という思いだったんです。

ある日、反対意見に心が折れそうで、ある友人に相談したんですよ。そしたらその友人がこんなこと言ってくれたんです。

友人
友人

子どもたちは、園の行事(お遊戯会とか発表会など)で、親の私たちに歌を歌ってくれたり踊ってくれたり披露してくれてたやん。やりたくない子もいたと思うよ。
最後ぐらい今度は親の私たちが、子どもたちのために披露してあげてもいいんじゃない?

この言葉に私は、どれだけ救われたか。どれだけ勇気をもらったか。

気を取り直し、私と同じ思いを持つママさんたちと協力し、異論を唱えるママたちの不安や心配を一つずつクリアにしていきました。そして迎えた卒園式当日。なんと、反対していたママたちも一緒に子どもたちに向けて歌ってくれたんです!

のの
のの

そして、子どもたちはと~っても喜んでくれたんですよ~!

大きく成人した我が子にこの話をしても、全く覚えていませんでしたが(笑)。でも、私にとっては忘れられない思い出となり、この「クリスマスの約束 2009年」の経緯を見て、私の脳裏に鮮明に蘇ってきたんです。

人生は物語で溢れてる「嫌なアイツ」も欠かせないスパイス?

反対意見がない方が気分はいいし、物事もスムーズに進みますよね。

でも、小田さんたちが経験した、あの幾多の衝突や試行錯誤を見て、だからこそ、絶対に良いものを創り上げていくというエネルギーが大きくなり、結果、素晴らしいものが生まれた。

もちろん、反対意見がなくともいいものができたかもしれません。それはわかりません。私の場合もそうです。

だけど、小田さんが最後にこんなふうなこと言っていたんですよね。

小田さん
小田さん

最初はみんな何も台本がないところから始まって、いつの間にか勝手にそれぞれが物語を作り始めた。本番に向かって見えてなかったその物語が、たぶんそれぞれに見えてきて、最後の完結に向かってそれぞれの物語を完成させていくんだな。

決して簡単ではなかった今回の企画。でも簡単じゃなかったからこそ、それぞれがそれぞれのすばらしい物語を創り、体験できた・・・ともいえる。

私の過去の体験も、
当時反対していたママさんが最後には「いろいろありがとう」という言葉をかけてくれたんです。

でも私は、その言葉を聞いたとき

のの
のの

だったら最初から賛同してよ~!

って、口には出していませんが(笑)、そんなことを思う器の小さな人間でした(笑)
子どもたちが喜んでくれたのはとってもとっても嬉しかったんですが、結構しんどかったな、という思いもあったんですよね。

でも今回この最終回を見て、私の昔の思い出がここで完結できたような気がしたんです。
つまり、あの頃はわからなかったけど、ああ、あれでよかったんだって今思えたというね。(笑)

長い物語やな・・・。

苦い想い出があれでよかったんだって、そう腑に落ちたとき、物語は完結するのかもしれませね。
逆に言うと、そう思えないときは、まだ物語の途中なのかもしれない。

長かろうと、短かろうと、人生には誰しもそんな物語がいっぱいあるんですよね~。

あなたにも、わたしにも・・・。

ひとりでは紡ぎ出せないハーモニー「私がここにいる意味」

それともうひとつ心動いたのが、あの「一体感」なんです。これって、誰か一人が突出して頑張るだけでは生まれないんものですよね。

私は小田さんのファンでもあるので、小田さんひとりでも感動的なステージは生み出せていたかもしれません。でも、あの鳥肌の立つような響きは、きっと一人じゃ生まれなかったと思うんです。

特に、私が目を奪われたのはバックで奏でるミュージシャンの方々、一つひとつの音が絡み合って生まれるあの美しいハーモニー。

のの
のの

私もあのバックで歌いたい!と思いましたもんね。

それは小田さんがいい感じにアレンジしたからでしょ。

確かにそれはある。あの独特なアレンジは、小田さんが成せる才能とさえ思います。でもそれを形にするには、一人じゃできない。

きっとあのステージ上の誰もが、「私が私の役割を果たしている」ではなく、
「私がここにいる意味がある」と思えたからこそ、あんな素晴らしい空間が創り出されたんだろうなとも思いました。

そのすべてが、一人では絶対に生み出せない「ハーモニー」を作っているんですよね。

私の卒園式のことも、賛同してくれる人が一人もいなかったら、おそらく早々にあきらめていました。賛同してくれる人たちがいて、励ましてくれる友人の言葉があったからこそ、絶対に実現させる!って思ってがんばれた。

そしてみんなで心を込めて子どもたちに向けて贈った歌は、思いは、決して私一人ではたどり着けないものだったよなって、しみじみ思えました。

まとめ

  • 人生は物語であふれてる。イヤな出来事も物語的には欠かせないスパイス。「嫌なアイツがそこにいる意味」もある。あれでよかったと、そう腑に落ちたとき、一つの物語が完結する。
  • 他者と関わることで一人ではいけない世界がある。それは「私がここにいる意味」を実感できる世界なのかも。

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「クリスマスの約束」を観たことがない方、あるいは最終回を見逃した方。
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