「石の上にも3年」「継続は力なり」「続けることに意味がある」などなど
これらの言葉に自分を奮い立たせて頑張ってきた経験、あなたも1度や2度あるんじゃないでしょうか?

ありまーす!
以前、こちらの記事にも書きましたが
私たち日本人は「辞める」ことより「続ける」ことの方に重きを置き、「やめる練習」が足りてない。
「我慢する練習」を積んできた日本人。

私はむっちゃ「我慢する練習」してきましたよ~。

私も~
好きで始めたことでさえ、続けることがしんどいときってないですか?
なんだか疲れたな・・・。もうやめようかな・・・。十分がんばったしな・・・って。
そんなとき、「やーめた」とすんなりやめることができればいいんですが、
上記の言葉がチラついたり やめない理由を探して「やめる決断」がなかなかできなかったり。
「続ける」ことより「やめる」ことの方が、うんとうんと難しいと思うのは私だけでしょうか。

わかる~
いつまで頑張り続けなけらばならないの?やめたい、逃げたい、そんなとき
NHK ETV特集「餅ばあちゃんが教えてくれたこと」と秋元康の言葉から、50代の私が、やめたくなったとき、逃げたくなっとき、こんなふうにとらえるとラクになるというヒントをお話します。
どうぞ、お役に立ちますように・・・。
NHK ETV特集「餅ばあちゃんが教えてくれたこと」
以前、NHK ETV特集で「餅ばあちゃんが教えてくれたこと」というのが放送されていました。
ご覧になられた方はいらっしゃるでしょうか。
笹餅づくりをされている 桑田ミサオさん 94歳(2022年時点)。
たった一人で年間5万個も笹餅を作っているらしく、その笹餅は大変人気で店頭に並ぶとすぐに売れ切れてしまうんだとか。

食べてみたい~!
番組は、そんなミサオさんを2019年から2年間追い続け、その取材記録だったんですね。
そもそも、ミサオさんがなぜ笹餅づくりを始めたのかというと、
60歳のときに老人ホームへ自分が作った笹餅を持って行ったことがきっかけだったんです。
笹餅を2人のおばあちゃんが涙を流して喜んでくれた姿を見て、ミサオさんの心は大きく動きました。

今まではお掃除とか、与えられた仕事をして生きてきたけど、こんな私でも誰かを喜ばせることができるんだ、
と、笹餅づくりを一生続けようと決めたらしいです。

自分が誰かの役に立てたと思えたときってすごく嬉しいし、エネルギーもわいてきますよね
90歳をすぎても軽快に自転車に乗り(現在は家族の方にとめられているらしいですが)
匂いのいい笹取りから、小豆も自分で育て、丁寧に丁寧に丹精込めて笹餅を作ってらっしゃるその姿に
観ている私までとても心動かされました。
それにとってもほがらかで、お顔もツヤツヤで、若々しくて愛くるしいんです。
好きで始めた笹餅づくりだが
2019年から続けていた取材がコロナ禍で中止となり、2021年にしばらくぶりにミサオさんを取材班が訪ねました。
するとミサオさんは、笹餅づくりを辞めようかと、口にしていたんです。
理由はいろいろあるでしょうが、体力的なこともその一つに思えました。

そりゃそうだ
しかし、それを聞いたまわりの人たちはこう言うんです。

辞めるなって、辞めたらサビちまうよ
誰かに喜んでもらうことが嬉しくて作り始めた笹餅づくり。
たくさんの人に喜んでもらい、それがミサオさんの生きがいだったはず。なのに・・・・。
この番組の最後は、そんなミサオさんの葛藤が描かれていました。
現在は笹餅の作る数を減らして続けておられるみたいです。
いつまで頑張り続けなければいけないの?
ミサオさんに、私は自分の母と重ねて観ていたんですね。
私の母は89歳。電話で話すたびに母はいうもこう言うんです。

どうせ死ぬんだから・・・
そんな母よりも年上のミサオさんは、母よりもうんと元気に見えます。
それはきっと、この「笹餅づくり」があるからこそ。
だから笹餅づくりをやめようとするミサオさんに、まわりがやめるなと止めるのはとてもよく理解できます。
私も母に対しても、なんとか生きがいを持ってほしくって「あれしてみたら?」「これしてみたら?」とか、いろいろ助言するんですが、

どうせ死ぬんだから、好きなようにしたい・・・
なげやりにも本音にも聞こえるその言葉に、私は何も言えなくなります・・・。
で、同時に、ミサオさんを観ながら、こうも思ったんです。

私たちはいつまで頑張り続けなければいけないの?
なんでやめちゃだめなの? やめるやめないを、どうしてまわりが決めるの?
やめてはいけない、その奥に、
「何もしないのはよくない」「成長しつづけなければいけない」「居場所がなくなる」
「生きがいをもたなくてはいけない」「生きがいをもたないと幸せではない」などなど
そんな大きな大きな思い込みがあるんじゃないかって・・・。
生きがいをもたないと幸せではない

でも、生きがいはあった方がいいでしょ。
確かにそうですよね。そこに異論はないです。
ただ、「生きがいをもたなくては幸せではない」「何もしないことはよくない」などという思い込みがもしあるのなら・・・?
それがかえって苦しむことに繋がっているとしたら・・・?
それがかえって本人を追い詰めているとしたら・・・?
好きで始めたことでも、好きで始めたことだからこそ、辞めてしまっていいのかと悩む。
あるいは、まわりの応援があるからこそ、その期待に応えなければと思う。
期待に応え続けることって、想像以上にエネルギーを使うと思うんですよね。
葛藤するミサオさんは、番組の最後にこう言うんです。

どうやって生きていったらええんかな・・・

94歳のおばあちゃんがこんなふうに言うんですよ。
人はいくつになっても、うらやましがられるような生き方でさえも
死ぬまで自分の生き方に葛藤し続けるものなのかなって、ミサオさんを観て思いました。
秋元康氏のことば

じゃあ、どうすればいいんだろう

人生の問いに、唯一無二の正解なんてないですよね。
少し私の話をさせてくださいね。
「我慢の練習」を積んできた私は、「やめる練習」が足りてないので(笑)、やめることがとっても苦手でした。(今も得意じゃない)
「やめる=逃げる」と捉えていたので、「逃げてはいけない」という思いにずっととらわれていました。
私にとってはまわりからの「やめるな」より、私が私自身に対しての「やめるな=逃げるな」の声の方がずっとずっと大きかったんです。
だって、結局、逃げてもまた別の場面で、同じ問題にぶちあたる。
だから、逃げてはいけないって。逃げずに頑張らないとって。自分が変わらないとって、ずっとずっと思っていたんです。

さすが「我慢の練習」を積んできただけあるじゃないか!
でしょ~。
そんなときに読んだ秋元康氏の本(なんていう本だかは忘れてしまいましたが)
その中に、こんなようなことが書かれていたのが、とても記憶に残っているんです。
逃げることに関して「逃げずに乗り越えろ」という考え方もあるけれど、秋元氏は「逃げていい」って言うんです。
逃げて、そしてまた心が回復して戻りたくなったら、戻ればいい。大事なのは「戻る力」だと。

救われたんですよね・・・。この言葉に。
で、結果的に私は逃げました。怖いまま逃げたんです。
今は、逃げてもいいって思えるし、逃げる自分も少しずつ許せるようになりました。
かたくなに握りしめていた「やめてはいけない=にげてはいけない」という呪縛から解き放たれた、そんな感じです。
秋元氏の「戻る力」というのは、元の場所に戻るということではなく、
「こうすべき」という囚われからの解放で、どのようにでも選べる力だと、私は解釈しました。
何も失わない
今回この番組を見て、いくつになっても自分を必要とされるモノやコトがあって、本人もそれを生きがいに感じている。
それはとても幸せなことなのに、それでも葛藤ってあるんだって思ったんですね。
でもその葛藤は、「生きがいがなければ幸せじゃない」「何もしないことはよくない」「期待に応えないといけない」「私の居場所がなくなる」などという
今の状態を失うことへの恐怖や、期待に応えられない自責の念などがそうさせているのかもしれないのだとしたら・・・。
笹餅づくりをやめても、私の母が「どうせ死ぬんだから・・・」と寝てばっかりでも
それでもいいよと、やりたいようにやっていいよと、戻りたくなったらいつでも戻っていいよって
それでも何も失わない。価値も変わらない。
自分にも他者にもそう思えたなら・・・現実はどう変わってみえるでしょう?
本当は、逃げずに頑張り続けても、逃げても、どっちだってよいのに、
「〇〇しなきゃ△△になる」というとらわれが葛藤を生んで、本人も見てる私たちも苦しくなってる。

でもな~、なかなかそう思えないから苦しいわけで
ですよね~。そんなときは、秋元氏の言った「戻る力」が私たちにはあるんだと信じてみましょう。
そして、いらぬ思い込みで勝手に自分が恐怖を感じている、それを頭の片隅において

自分に優しくしてあげてください。
すると、他者にも優しくなれる。
するとすると、別にいいじゃん、逃げたって。それの何が問題? なんて思うかもしれないし、思わないかもしれませんが(笑)
まとめ
- 好きで始めたことでさえ、やめたい、逃げたい、でもやめられないのその奥に
「生きがいをもたないと幸せじゃない」「何もしないことはよくない」「期待に応えないといけない」などという思い込みがある - やめても、逃げても、また戻りたくなったら戻ってくればいい。「戻る力」が私たちにはある。