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FIFAワールドカップ サッカー 敗者に思う。勝てばヒーロー、負ければ・・・?

出来事

サッカー FIFAワールドカップ、残念でしたね・・・。

どんなスポーツでも負けると悔しい。

ワールドカップやオリンピック、日本中から注目される競技ほど、それを応援する私たちは、勝手に期待を膨らませ、選手たちもその期待に応えようとする。

どれほどのプレッシャーがあるんだろうって思ってしまいます。

今回のように、最後はPK戦で決着がついたときなんか、見ていてとても胸が痛みました。

負けたとき、よくインタビューなんかで選手が「すみません」って謝るじゃないですか。

その言葉を聞くたびに、「なんで謝るの?謝らなくていいし、勝手にこちらが期待していただけなのに・・・」って思うけど

そんなわけにはいかないくらい、大きな大きな重責を背負い闘っているんだろうなって・・・。

だから、私たち応援者は、「よくがんばった!」「感動した」「感謝してる」「どんな結果であれ勇気をもらえたよ、ありがとう」と

ねぎらいの言葉を投げかけたとしても、負けて悔しいときは、それらの言葉はなんの慰めにもならないんじゃないかな~と思ったりもします。

悔しさを共有する風景

こんなことを、思い出しました。

昔、子どもの部活の引退試合を応援にしに行ったときのこと。残念ながら負けてしまったんですね。

子どもたちは大泣きで、それはそれは落胆していました。

私もそんな子どもたちを見て「あ~残念だね・・・」って思いながら、「でもそれも青春だよな~」なんて思いながら見てたんです。

そんな子どもたちの中に、ある二人の子どもに目がとまったんですね。

仮にAさんとBさんとしましょう。

Aさんは負けた試合に出ていた子で、すごく泣いてて、試合が終わった後もず~っと泣いてたんです。

そのAさんの横に、同じチームのBさんが何も言わずにAさんのそばにずっといたんですね。もうず~っと。

Aさんが場所を移動すれば、Bさんも一緒に移動してAさんの横に座り、声をかけるわけでもなく、うつむき加減で座っているだけ。

私がBさんの立場なら、Aさんに励ましの言葉をかけまくるかもしれないけれど、Bさんは何も言わず、ただただAさんのそばにいるだけ。

そんなふたりを見て、Bさんは何も語らずともAさんの悔しさを一緒に共有しているようで

なんだかジーンと心が動いてしまったんです。

負けたときは、どんな励ましの言葉より、一緒になって悔しい思いを共有する。

もうそれだけで十分じゃないかとさえ、思えたんです・・・。

勝てばヒーロー、負ければ・・・? 敗者に対する思い

もし自分が、今回のようにPK戦で惜しくもゴールできなかったその当事者だとしたら、あなたはどう思うでしょう?

私なら自分を責めまくるかもしれません・・・。落ち込んでる自分に「お前の責任じゃない」と言われたとしても、誰もそんなこと思ってなくても、どんなに励まされても

のの
のの

私は私を責めるでしょう。たぶん。(笑)

ただただ、自分の不甲斐なさ、情けなさ、期待に応えられなかったことに自分を責めてしまうかもしれない。

スポーツって、当事者であれば勝ちたいに決まってる。私だってスポーツしてたから、その思いはものすごくよくわかる。

勝ちたい!勝ちたい!勝ちたい!期待に応えたい!

そんな思いが、盛りだくさんで、勝てばまさにヒーローで気持ちいいことでしょう。

でも、負けたら・・・。

この悔しさが次につなげるパワーに変えるとしても、やっぱり凹みますよね。落胆しますよね。自分を責めたりなんかしちゃいますよね?

のの
のの

私だけか?

そしてそれを応援している側も、勝ってヒーローになる選手たちを見て、自分事のように気分はいいものですが

負けて悔しい思いをしている選手たちを見ても、何か感じるものもあるんじゃないかなって思うんです。

2020オリンピック開催時、体操の内村航平さんが予選敗退したとき、演技後のインタビューでこんなこと言っていたんです。

オリンピック代表枠。残り1枠を争った米倉選手に対して

「代表選考をともに戦った米倉に、申し訳ない気持ちしか今はないです」

その言葉に、米倉選手が自身のツイッターで、こうツイートしていました。

「オリンピックには いつもと違う雰囲気が流れてたし、航平さんも一人の人間なんだなって思いました」

いつもいい成績を残し続けている体操界のヒーロー内村さんに、「航平さんも一人の人間だなった思いました」と語った米倉選手のように

私たちは敗者に対して、どこか自分と重ねあわせた思いをもつんじゃないかなって思ったんです。

つまり、勝ち続ける超人より、負けを知った凡人に人間らしさを感じ、心動かされることもあるんじゃないかと思ったんですね。

のの
のの

「あの人は、私と違う」より、「あの人も、私と同じなんだ」という安堵感にも似た気持ち。

だから「悔しかったよね」って、すなおにそう共感できるし、「あの人も一人の人間なんだな」って思う。

Bさんのように、言葉にしなくともそばにいるだけで、一緒にその思いを共感できる。

勝ちたいけど、勝つことだけがすごいんじゃなくて、負けたって、負けたからこそ心動くことだってあるんだなって、私は敗者を見たとき、そう思うんですよね。

だから、今回のFIFAワールドカップ敗戦は残念だったけど、悔しい思いをした選手たちに、遠くからその悔しい思いを共有したい、と

のの
のの

一般人の私は、偉そ~うに、そう思うのでありました。

のの
のの
この記事を書いた人

読書好き。年間200冊以上読んでます。「人間らしさ、人間臭さ」に心動く50代です。今までインプットしてきたことと経験してきたことなどを踏まえて心動く50代の「エモい生き方」を綴っています。

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